ベトナムの首都ハノイから離れた北西部、霧深い山々に抱かれたマイチャウ(Mai Châu)渓谷。 ここには、高床式住居の床下で機織りの音を響かせる、タイ族(Thai)の女性たちの伝統が息づいている。
この地で育まれた手仕事を、現代のファッションへと昇華させ、現在2万人を超えるファンに愛されるブランドがある。2017年の創業以来、一貫して「100%手織り生地」にこだわり続ける「Cúc Handmade Design(クック・ハンドメイド・デザイン)」だ。
今回は、かつて観光ガイドとしてこの村を訪れ、そこで出会った障がいを持つ女性たちの自立支援に情熱を注いだ創業者、Cuc(クック)氏にインタビューを行った。 日本のNGOとの活動を通じて磨かれた美意識、職人との間に結ばれた家族のような絆、そして「綿花の栽培から服作りまで」を目指す未来への壮大な循環。 ハノイの店舗から世界を見据える彼女が語る、ひとつの「ボタン」から始まった優しい連鎖の物語を紐解いていく。
名前は「ボタン」。手仕事と人々を繋ぐアイコンとして
「私の名前『Cuc(クック)』は、ベトナム語で『ボタン』という意味もある。ベトナムでボタンといえば、誰もが手芸や手仕事の温もりを連想する。だからこそ、この名をブランド名に冠した」
Cuc氏はもともと観光学を学び、ツアーガイドとして働いていた異色の経歴を持つ。転機となったのは、マイチャウで障がいを持つ女性たちを支援する活動と、そこに関わる日本のNGOとの出会いだった。 「当初はビジネスやデザインの専門家ではなかった。しかし、現地で彼女たちを支援したいという一心で、2014年に社会貢献型企業『Haban Plus』を設立したのが始まりだ」
その後、導かれるようにファッションの世界へ。「デザインの仕事が私を見つけてくれた」と彼女は笑う。2017年、彼女は自身の理想を形にするため、Cuc Handmade Designをスタートさせた。
日本の美意識と、100%手織りコットンの出会い
Cuc Handmade Designの製品が持つ独特の空気感。それは、ベトナムの伝統素材と、彼女が影響を受けた「日本のスタイル」との融合にある。 「日本のボランティアの方々と共に働く中で、日本の女性が持つシンプルでエレガントな美意識に強く惹かれた。華美な装飾ではなく、シンプルだからこそ引き立つ美しさ。それをベトナムの手織り生地で表現したかった」
最初にデザインしたシンプルなワンピース(ロングピース)は、創業から8年近く経つ今もベストセラーだという。 素材はマイチャウのタイ族が織る100%手織りコットン。特にこだわっているのは「糸の細さ」だ。 「太い糸もあれば細い糸もあるが、私はあえて細い糸を選んでいる。それがベトナムの高温多湿な気候に最適で、驚くほど柔らかく、夏は涼しく冬は暖かい着心地を生むからだ」
高床式住居の下で織られる、信頼と絆の生地
現在、Cuc Handmade Designの生地は、マイチャウの職人たちによって織られている。 「マイチャウでは、人々は高床式の家の下に機織り機を置いている。私は村を歩き回り、信頼できる織り手を探した。創業時から共に歩んでいる職人のMさんは、今ではその娘さんも私たちのスタッフとして働いている」
ハノイに拠点を置くCuc氏と、マイチャウの職人たち。離れていても、生地の柄ごとにコード番号を共有し、電話一本で意図が伝わるほどの信頼関係が築かれている。 「彼女たちは単なる労働者ではなく、私のチームだ。彼女たちが心を開き、愛を込めて織ってくれるからこそ、私が思い描くデザインが形になる」
「売る」のではなく「愛してもらう」。自然な循環を作る
Cuc氏の販売哲学は一貫している。それは「決して購入を強制しない」ことだ。 「お客様には、まず自由に見て、知ってもらいたい。私たちのストーリーや生地の良さを理解し、心から気に入ってくれた時、自然と購入に繋がる。それが『愛してもらう』ということだ」
創業当初からFacebookを活用し、製品の背景にある物語や製造工程を丁寧に発信し続けた。その結果、コロナ禍で店舗を閉めざるを得なかった時期も、2万人を超えるフォロワーがオンラインでブランドを支え続けたという。
失われた「綿花栽培」を再び。夢は完全なる循環
Cuc氏には、どうしても叶えたい大きな夢がある。それは、マイチャウの地に綿花畑を復活させることだ。 「現在、マイチャウでは綿花の栽培が途絶えてしまい、人々は花から糸を紡ぐ方法を忘れかけている。私はいつか自分の畑を持ち、綿を育て、収穫し、糸を紡ぐところから服作りまでの全工程を一貫して行いたい」
職人にその夢を語ったとき、「あなたがやるなら、一緒にやる」と言ってくれたという。 「私たちの服は、まるで木や自然そのものを纏(まと)っているような心地よさがある。この服を通じて、ベトナムの伝統文化と職人の温もりを世界中に届けていきたい」
かつて日本のNGOから多くを学んだ「卒業生」である彼女は今、自らの手で新たな「良い連鎖」を紡ぎ出し、世界へとその輪を広げようとしている。